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エチオピアの歴史や情報などを掲載しています。

News

2012年11月12日  特質
2012年11月09日  発見
2012年11月09日  アファール猿人 ルーシー (アウストラロピテクス)
2012年11月09日  エチオピアの世界遺産
2012年11月09日  エチオピアの世界遺産

Pick up


文化



-食文化-
エチオピアの主流の文化であるアムハラ文化において、主食はテフなどの穀粉を水で溶いて発酵させ大きなクレープ状に焼いたインジェラで、代表的な料理としてはワット、クックル、トゥプスなどがあります。辛い料理が多いです。 エチオピア正教の戒律によりツォムと呼ばれる断食の習慣があり、水曜日と金曜日を断食の日とし午前中は全ての食事を午後は動物性タンパク質を取らないそうです。 四旬節(2月~4月)のツォムは2ヶ月の長期に亘り復活祭により断食明けとなります。同様に戒律を理由としてユダヤ教やイスラーム教のように、豚肉を食べることは固く禁じられています。 これらの文化は基本的にアムハラ人の文化ですが、アムハラ人がエチオピアの実権を握ってきた期間が長かったため国内の他民族にも普及しています。 南部においてはエンセーテといわれるバナナの一種からとれるデンプンを主食とする文化があります。 エチオピアはコーヒーの原産地と言われており、コーヒーは広く常飲されています。また、複数の人でコーヒーを楽しむ「ブンナ・セレモニー」という習慣があります。 アルコール飲料としては、ビール・ワインが生産されているほか地酒としてタッジ(蜂蜜酒)・テラ(麦やトウモロコシが原料のビールに似た飲料)・アラキ(蒸留酒)があります。 また嗜好品としてチャットの葉を噛む習慣があります。

-スポーツ-
エチオピア国内で最も人気のあるスポーツはサッカーですが、エチオピアが最も強いスポーツは陸上、とくにマラソンなど長距離走です。 2011年現在、エチオピアはオリンピックで通算金メダル18個、銀メダル6個、銅メダル14個を獲得していますがこれはすべて陸上によって獲得したものです。 エチオピアは人口稠密区域が標高2000m以上の高原で、首都アジスアベバも標高2400mの地点にあります。 このため心肺機能が鍛えられ、これが長距離走にとって有利であると考えられています。

-音楽-
国教のキリスト教に関連した音楽が発達していますが、同時に古くから民間に伝承されてきた民謡とのかかわりも深いです。 アズマリはアムハラ人によるミュージシャンのことで冠婚葬祭や宴会の余興、教会の儀式などに用いられています。 山羊の皮を張った胴と馬の尾の弦から作られた弦楽器マシンコの伴奏で歌われます。 もう一つのラリベロッチは門付の芸人を指します。彼らは朝早く家々の玄関で祝福の内容を歌い金や食料をもらっています。 いずれも独自の歴史と習慣をもった音楽家集団で、エチオピアの音楽を支えています。



地理



エチオピアは世界で27番目に大きい国です。
国土の大部分がエチオピア高原を中心とする高地で年平均気温は13℃と冷涼。北部をエリトリアとジブチに接する内陸国ですがそれぞれ紅海とアデン湾にはわずか70kmしか離れていません。 ソマリアとの国境を接する東部のオガデン地方はエチオピア高原からソマリアの砂漠へ下る地形。北部のアファール州はアファール三角地帯と呼ばれる地質学的に重要な低地。 タンザニア・ケニアから伸びるアフリカ大地溝帯がこの地域でアデン湾と紅海に分かれています。 2005年にも火山が噴火し深さ60mの亀裂を作っており、生きている地球の活動が見られます。 北回帰線以南の熱帯に位置しており、気候は標高によって違い標高1500mまでは平均気温27℃から50℃と極めて暑いですが、標高1500mから2400m は移行区間となり平均気温は16℃から30℃ほどです。

エチオピア高原は降水量が多く、年間降雨量は1200mmを超しています。この豊富な降雨量がエチオピア高原にゆたかな植生をもたらし、また農耕もおこなわれアフリカ第2位の人口を支えています。 このエチオピア高原は本来の地形は平らですが、標高が高く降雨が多いため浸食が激しく非常に深い谷や崖が多いです。 この地形は外国勢力からの防衛には適しており、エチオピアが植民地化されなかった理由にもなりましたが、一方で交通インフラを整備するにはまったく不適切な地形で、経済発展上の一つのネックとなっています。 アフリカ大地溝帯によって隔てられた東部高原は乾燥しており、その東に広がりソマリアへ続くオガデン地方はさらに暑く乾燥しています。


エチオピア



東アフリカに位置する連邦共和制国家。首都はアディスアベバ。アフリカ最古の独立国として知られています。 1991年5月29日にエリトリアが独立を宣言し1993年5月24日に独立が承認されました。 エチオピアはグレゴリオ暦とは異なるエチオピア独自の暦を使用しています。 エチオピアの1月1日は、グレゴリオ暦の9月11日に当たり、グレゴリオ暦からは約7年遅れですが、その理由はイエス・キリストの誕生年についての見解が違うためであると言われています。

1991年エチオピアからの独立を目指すエリトリアの勢力のうちの最大勢力、エリトリア人民解放戦線はティグレ人民解放戦線等と共に首都アディスアベバに突入。 エチオピアに政変を起こし当時の指導者メンギスツ政権を倒し、同年5月29日独立宣言を行いました。 この時の合意によりTPLFを中心としたEPRDFによるエチオピア新体制の確立に伴い1993年5月24日にエリトリアの独立が承認されました。
1998年5月12日エリトリアと国境付近のバドメ地区の領有権をめぐり戦争に発展。
2000年5月エリトリア軍が撤退を表明。メレス首相は6月アフリカ統一機構の停戦提案を受け入れました。
7月国連の安保理は国際連合安全保障理事会決議1312によりPKOである国連エチオピア・エリトリア派遣団設置を決定。
2001年2月エリトリアとの国境に臨時緩衝地帯を設置することで合意。10月8日ネガソ大統領の任期満了を受け、ギルマ・ウォルドギオルギス人民代表議会(下院)議員が新大統領に就任しました。 近隣諸国との関係では、かつてエチオピアの領土であった隣国のエリトリアとは、1991年のエリトリア独立当初の関係は良好でしたが、バドメ地区の領土問題や港湾の利用権、エリトリアの独自通貨導入などにより関係が悪化し1998年に武力衝突に発展。2000年に国際連合エチオピア・エリトリア派遣団が派遣され調停に当たったものの2008年に撤退し、現在でも紛争が相次いでいます。

また、かつて大ソマリ主義を掲げていたソマリアとの関係も問題を抱えています。
国内にソマリ人居住地域のオガデンを抱えるエチオピアはその帰属をめぐって1977年にソマリアとオガデン戦争を起こしました。 1991年にソマリア政府が崩壊しソマリアが無政府状態となったのち、2006年にイスラム原理主義組織のイスラム法廷会議がソマリア首都モガディシュを制圧し国土統一の動きを見せると、隣国の原理主義化を嫌うエチオピアはソマリア国内への干渉を強化。同年12月24日エチオピアはソマリア暫定連邦政府を支援してソマリア侵攻を開始しました。 軍事力に勝るエチオピア軍は28日にはモガディシュを制圧しイスラム法廷会議軍をほぼ駆逐したものの、オガデン戦争の余波でソマリアの反エチオピア感情は根強く、ソマリア各地で反エチオピア暴動が勃発。 2008年8月19日エチオピア軍は2009年初頭のソマリアからの撤退に同意しました。


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